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この写真は20年前にエスハチを購入した頃のものです。オリジナルはY-13のイエローですが、何度か塗り重ねられてホワイトになっていました。この時からホンダSFへのパーツ買い通いが始まったのです。この頃はまだ再生産パーツと云いまして、生産完了後に作った(微妙に製造当時と違う)パーツが殆ど出ましたので個人でレストアすることもそれほど困難なことではなかったのです。
旧車とバイク
ロードレースに参戦している時の写真は意外に少ないのです。(当時はそれどころではあり ません)この写真は富士スピードウェイでスタートのグリットに着いている時ですね。E・J・N混合の 90ccクラスですが、マシンは名チューナーだった河合製作所の故、河合克巳氏の手によるものです。ワンオフのフレームにエンジンはヤマハHT90を搭載していますがFフォークなどにブリジストン、スズキの工場レーサー部品及びレプリカを使用しています。

カメラ意外の旧車、バイク、プラモデルはこちらにまとめて行きます。内容に就いては考慮中で非定期に更新する予定です。

思い出のバイク

♪曲名【ライダー・ブルース】 片山敬済 唄

俺らが走りゃ 地球は廻る アクセルひねりゃ マシンはすっ飛ぶ
なにが欲しくて 走るんじゃないが なにも欲しくなくもない
泣いてる心 吠えるエンジン エキゾースト・ノイズ

いつでもそうなのさ 走る俺らを 指差しあざわらう 手前は善人さ
なにも世の中 憎くはないが なにも憎くなくもない
人の生き方 たくさんあるさ これもそのうちさ

いつかは止まるだろう こうして走ってりゃ
止める事は知ってても 止められないのさ
だれもかも そうなんだろう だれもかれも そうなんだろう
いつかはきっと 知らされるのさ 終わりが来ると
                                  (3'49")
東芝EMI ETP-20176
八王子にあります「カワサキマッハV」の専門レストア工房「Garage・310」を訪問して来ました。私がこのオートバイを所有していた時からすでに30年以上の時間が流れてしまいましたが、この画像のように当時と変わらぬコンディションで並んでいるマッハを見てタイムスリップをしたような錯覚を覚えました。当時からカワサキは部品の供給体制が円滑とは言えないメーカーでしたが、オーナーさんから現在のレストア上のご苦労など、時間の経つのも忘れてお伺いしたのでした。
♪曲名【レーサー】 片山敬済 唄

赤いシグナル見つめて 胸は激しく躍るよ
皮のスーツに包まれた 素肌も波うち汗ばむ
走る俺に何もいらない 君の微笑みさえも
けれど走る後姿は燃えたぎる
熱い炎に身を焦がす恋に恋に恋に似ている

せまいカウルに身を沈め ただひたすら目指すはチェッカー
せつない迄に燃えさせる 遠い路面のささやき
恋につかれた男が 狂い走るような
だから走る後姿は燃えたぎる
熱い炎に身を焦がす恋に恋に恋に似ている
              (レーサー走行音SE)  (2'45")
1971-1月号の月刊モーターサイクリストに別冊付録として付いていたソノシートを入手しました。じつは、当時購入したものは大切に保管してあるのですが、物置の中で最近は見ていません。このソノシートの付録は確か2回ありまして、今回のものはCR93とH1Rの走行音を筑波サーキットで収録したものですが、もう1枚は当時の花形バイク、CB750、マッハV、トライアンフボンネビルなどのノーマルバイクの音を収録したものでした。思えばこのソノシートを何度も聴いてサーキット走行の魅力に引き込まれたような気がします。現在は、プレーヤーも物置の中ですので再生して聞くことは出来ませんが、その内聞きたいと思います。しかし内容は今でも空で言えますよ。えーとね、「ここは茨城県筑波サーキット、ホンダCR93とカワサキH1Rに乗る二人のライダーはトレーニングに余念がありません。先ず、ホンダCR93に乗る柴田レーシングチームのチーフ、柴田幸弘からトレーニングを始めてもらいましょう。」良く覚えているなぁ・・

オートバイというものに初めて興味を持ったのは高校に入学した頃でした。当時は今と違って男の子は一度は掛かる麻疹のようなもので、クラスでバイクに興味を示さない者の方が変人あつかいされた時代でした。それから今まで途中ブランクはありましたが、オートバイへの情熱が冷めたことはなかったのです。ここでは、思いでのオートバイ/レーサーなどをご紹介致します。

1968 スズキAC50
スズキが世界グランプリ参戦の技術を市販車にフィードバックした(と思い込んで)購入したバイクです。ロータリーパルブのエンジンは非常に滑らかに廻り、スムーズなタッチのミッションとあいまって50ccながら、慣れると峠道では大排気量のオートバイを追いかけまわすことが可能な、痛快なバイクでした。どんなに酷使してもタフなエンジンが音を上げた経験は一度もありません。当時のライバルはヤマハFS1(現在所有)でしたがエンジン技術はスズキの方が優れていたように思います。

日光路を行く左ヤマハDS6(私です)と右スズキGT500
DS6はYDSの血統を受け継ぐオートバイで後継のDS7(DX
)に比べ明らかに古典的な味付けをもつマシンでした。荒削
りのエンジンフィーリングと独特なコーナリング特性はコント
ロールするには、確かな腕を要求しました。

1969 ヤマハAT1
125ccへステップアップした頃は、DT1(250cc)が大ブームでしたがとても購入できませんので125ccのAT1にしました。トレール車という新しいジャンルのバイクで川原でモトクロスの真似事をしてテクニックを磨きました。但し、エンジンは比較的非力で、本格的な悪路走行はきつかったですね。後に、同種のバイクをロードレーサーに改造したマシンでサーキットを走り始めることになります。

1970 ホンダCB350
初めての4サイクル車です。当時は2/4サイクルの違いなど良く分かってはいなかったのですが、エンジンが大きくて重量車に見えたので購入しました。カタログと同じグリーンメタリックもお気に入りでした。ツーリングには非常に楽なバイクでしたが、この頃からロードレース熱がでてきまして、峠道ではやや、かったるい印象でした。

1970 カワサキMACHV
あまりにも有名なオートバイですね。強烈な加速と曲がらない止まらないのが特徴
の個性の強いマシンでしたが、それだけに今でも夢に出て来ます。実際はヤマハ
RX(350cc)などの方が峠などでは速かったと思います。一文字ハンドル装備で余計に
コンロールしにくいジャジャ馬との格闘は非常に勉強になりました。このマシンで筑波
サーキットなどを走り始めました。

1969 ヤマハ FS1
スズキAS50の対抗車種としてF5Sをリファインして登場したレーサームードたっぷりのバイク。割り切ったデザインの一文字ハンドルとロングタンクが新鮮でした。ボディーカラーはレッドとブルーが存在しましたが、圧倒的にブルーが多く、現在レッドは非常に希少です。

   本物のSUZUKI RK67    私のマシン(RKもどき)   プラモデルで作ったRK66(7)

AT1ロードレーサー

レースの記録

当初はヤマハスタイルのマシンで走っていましたが、昇格を期に以前より大好きであったスズキ50工場レーサータイプのマシンを製作して参戦を始めました。50ccという極限サイズのマシンは究極の機能美ともいえるシルエットで非常に魅力的です。中でも最終型ともいえるスズキRK67はスズキが世界選手権ロードレースの1967年用に開発したレーサーで、水冷並列2気筒50cc、14速ミッション、最高出力17.5ps/17250rpmという、現在でも信じられないようなスペックのマシンでした。
下表(左)はレストアを受けて、モーターショーに展示されていたものを私が撮影した画像です。当時のライディングスタイルは、コーナリング中に脚を開かないリーンウィズ走法が一般的のため極限まで細く長いフィーエルタンクと後方排気のエキゾーストは全くカッコ良いの一言です。(中)は私のマシンでシルエットは似ていると思います。(右)はイタリアのプロター社から発売されていたプラモデルを改造して製作したものです。この作品は当時、モーターサイクリスト誌のコンテストで入賞し、現在でも、あるホームページにその時の記事が掲載されています。

レース参戦当時の写真

レストア中の状態

現在の状態

1970 ヤマハDX250
市販レーサーの技術をフィードバックした車体は非常に軽く、シャーブに吹き上がるエンジンとあいまって、峠道では水を得た魚のようでした。バランス的には排気量をUPしたRX(350cc)ボア・ストローク54X54→64X54がベストでしたね。

市販レーサーヤマハTR3
基本的にフレームとエンジンは同設計(材質は異なる)国内で発売される以前はDX(RX)にTR2のパーツを組み込んで改造マシンを製作した。

ホンダ CB50 スタイルの良さに惚れて購入しカフェレーサー風に改造しました。カッコは良いのですが、とにかく非力。
ホンダ MB80 斬新なフレーム設計とバランサー付エンジンの意欲作でしたがエンジンが回らなかったですね。

KAWASAKI AR125
ロータリーバルブのエンジンと6速ミッションがすばらしい走行性能を発揮してくれるバイクでした。高○道路を全開で走ったことも・・・

ヤマハ RZ250
市販レーサーTZ250譲りのスペックで後のレーサーレプリカの元祖。ギューンと回るエンジンとモノクロサス装備でDXとは次元の違う走りが可能でした。但し、ラバーマウントされたエンジンは振動がなく、私には返ってしっくりこなかったのです。

スズキフロンテクーペの取扱説明書を入手しました。私の所有していたGXCFはフロントにディスクブレーキを装備した後期型ですが、この取説はそれ以前に設定されていたGE,GER,GXタイプのものです。各操作部の写真、説明等を読み返してみますと、「そうそう、こうだったな」と言うように記憶が蘇って来て大変楽しいものです。フロンテクーペの場合は初期タイプの方がいろいろ豪華な装備(チルトハンドル・オーバーヘッドコンソール・アラーム時計・バンパーラバー等)がありましたので、それらを検証する作業も意義があります。
ヤマハFS1のパーツリストとシートを入手しました。パーツリストはコピーを持っていましたが、やはりオリジナルは所有しておきたいものです。古いモデルの割りには、ビジネスモデルのFB系やYB-1にも互換部品(チェンケースなど)があり、意外に部品は出てきます。シートは年代相応の状態ですが、そのうちレストアをしてシート地はバックスキンタイプ(ドリーム50)で作ろうかと思います。但し、何時になるやら怪しいものですが・・・

1975 ホンダ CB125JX
最近人気があるようですが、低速ではトコトコ粘り、高回転では豹変する独特なフィーリングのエンジン。後輪が17インチのため、当時でもタイヤの選定に苦労しました。

1979 ヤマハ RD90
レーサーのベース車両にしようと購入しました。DTベースのエンジンは中速タイプで高回転は伸びない。

1976 ヤマハ GR50
ミニトレを当時流行のカフェレーサータイプにしたモデル。キットのクロスミッションにシリンダーとチャンバー装備で長野のカメラ工場まで70km/hクルージングもOKでした。